一朝一夕では達成できない地域の将来像を見据える
長野県茅野市
中部地方 長野県茅野市
長野県のほぼ真ん中にあり、首都圏からもアクセスがよい長野県茅野市。全国的に知られる観光地が点在するこの地域は、団体旅行から個人旅行への客層の変化や、施設の老朽化など共通の課題を抱えながら、エリア間の連携を早くから行ってきました。こうした取り組みは本事業の採択、そして実施にどのような影響を与えたのでしょう。

茅野市地域創生政策監で、DMO〈一般社団法人ちの観光まちづくり推進機構〉専務理事の熊谷晃さん。
”レイクリゾート”として、複数のエリアが結束
八ヶ岳、蓼科湖、白樺湖、車山高原など豊富な観光資源を有する、長野県茅野市。観光道路「ビーナスライン」でつながっている八ヶ岳西麓のこれらのエリアは、長きにわたりリゾート地として人気を集めてきました。茅野市地域創生政策監の熊谷晃さんは、その背景を次のように説明します。
「昭和30~40年代から、標高1200メートル以上のこの地で別荘開発やホテルリゾートの誘致が行われてきました。首都圏と連携を図るのが得意なエリアで、全国的に見ても早い取り組みだったようです。その結果、大量の観光客がバスでやってきて、団体旅行隆盛の時代は非常に潤いました。しかも春夏秋冬、オールシーズン集客できることも大きな強みでした」
しかしバブル経済崩壊を契機に、旅行のトレンドは団体から個人へとシフト。周遊観光ブームの最盛期にあった1991年をピークに、観光客数は減少傾向となり、ビーナスラインはファミリーやカップルなどマイカーで旅行を楽しむ人たちの通過地点、つまり日帰り滞在が中心となってしまいました。
そんななか、市内に10ある観光協会が集結し、2018年に〈一般社団法人ちの観光まちづくり推進機構〉を設立。茅野だけでなく、多くの観光地が抱えている課題を客観的に捉え、その対策としてエリア間の連携に着手したのです。
「市内には日本を代表する観光地がいくつも点在し、かつては10カ所ある観光協会がそれぞれ十分に潤っている状況でした。ですので、エリア間で横連携を図るようなことはほとんどなかったのですが、観光客数の減少傾向が続き、個人旅行が主流になるにつれ、ひとつのエリアとして力を合わせることが必要だという声があがってきたのです」(熊谷さん)
DMOとして、地域をマネジメントする
茅野市の観光地はそれぞれに個性があります。たとえば、世界中から登山者が集まる八ヶ岳、避暑地として多くの別荘が建設され、文人や芸術家にも親しまれてきた蓼科、美しい景色のなかで多彩なアクティビティを楽しめる車山高原、遊園地や美術館、ショップなど充実した施設でファミリーに人気の白樺湖周辺といったように、客層が棲み分けられてきたのも特徴的です。
観光庁の事業に採択される以前の令和2年(2020年)、ちの観光まちづくり推進機構は中期5か年計画を策定して、これらのエリアの連携基盤整備に本格的に取り組んでいました。
そのとき生まれたのが、現在の地域計画のベースになっている「レイクリゾートの創生とマウンテンリゾートの再生」というコンセプト。同DMOの理事であり、〈株式会社池の平ホテル&リゾーツ〉代表取締役社長である矢島義拡さんは、その策定に関わったひとりです。
「単独でも存在しうる各観光地が、個性を包含しながら地域としてひとつの方向性を示していくことは、以前から必要だと感じていましたが、コロナ禍で観光業が打撃を受け、喫緊の課題となっていました。そこでレイクリゾートとマウンテンリゾートというコンセプトを軸にして、それぞれの立場で咀嚼してかたちにしていけば、面でつなぐことができるのではないかと考えたのです」(矢島さん)

白樺湖周辺のホテルやアミューズメント施設などを運営する〈株式会社池の平ホテル&リゾーツ〉代表取締役社長の矢島義拡さん。
また熊谷さんは、エリアマネジメントが重要だと話します。
「多くの事業者にDMOがどんな組織なのか理解していただくために、”DMOはみなさんが儲けるためのお手伝いをする組織である”ということをお伝えしました。そのためには、いままでのようにバラバラの体制ではいけないし、エリアマネジメントが重要になってきます。“再生と連帯”というキーワードを掲げ、それを具現化する方策として、この地域に宝物のように存在する山と湖に着目したのです」(熊谷さん)
この戦略は、観光庁の令和3年度事業「既存観光拠点の再生・高付加価値化推進事業」の趣旨とも合致。地域計画は採択に至り、令和4年度も継続して推進しています。
新たな楽しみ方を提案
蓼科エリアの新しいブランディングを目指す〈帰ってきた蓼科株式会社〉は、新たなレイクリゾートの拠点として、蓼科湖畔にある2階建ての建物を、宿泊機能を備えた複合観光施設〈蓼科BASE〉として全面改修しています。

美しい湖と山を望む蓼科湖の湖畔に〈蓼科BASE〉ができる。
「帰ってきた蓼科は、湖のある高原の魅力を見直せるような取り組みを2017年から進めてきました。それが、茅野市が思い描くレイクリゾート構想と合致したのです」と話すのは、代表取締役の矢崎公二さん。
蓼科BASEには、観光案内所、地産地消カフェレストラン、日帰り温泉施設、インバウンド需要を狙った和モダンな宿泊施設を併設。蓼科湖・白樺湖のレイクサイドと山岳エリアのハブとして機能させることで、ビーナスラインで蓼科を素通りしていた客層に、新たな楽しみ方を積極的に提供していきます。
「DMOが開発を進めているガイドアプリと連動するかたちで、飲食店や交通手段、アクティビティの案内、予約なども実装を目指しているので、期待は大きいですね」(矢崎さん)
観光案内所のような、顔が見えるリアルなコーディネートのよさは残しつつ、情報収集やランドオペレーターの役割を担うアプリ開発にも注力。旅行者と事業者をつなぐDXを推進しています。

〈帰ってきた蓼科株式会社〉代表取締役で蓼科BASE代表取締役社長の矢崎公二さん(右)と、支配人の柴田良敬さん。
一方、横谷温泉旅館が営んでいる蓼科中央高原のそば店が、改修されて〈遊楽庵 打坐(たざ)〉という医食“農”同源をテーマにした体験宿泊型施設に生まれ変わります。

ウェルネスリゾートの拠点として改修中の〈遊楽庵 打坐〉。
以前は団体客を受け入れられる貴重なそば店でしたが、1階部分は団体客のみならず、個人客も落ち着いて食事を楽しめる空間に改修しました。
さらに、長野県の全82蔵の日本酒が一堂に会する、圧巻のミュージアムも開設し、エンターテインメント要素もプラス。さらに2階にはウェルネスツーリズムをテーマに、宿泊可能なゲストルームを設置しました。常駐する保健師や医師のオンライン指導を受けながら、自然のなかでの運動や温泉療法、地元の食材を取り入れた食事療法で、健康的な滞在環境を提供します。

長野県の酒をずらりと並べた部屋の天井には、この地を守ってきた龍神が。(画像提供:遊楽庵)※写真はイメージです。
〈遊楽庵 打坐〉の運営を手がける〈横谷温泉旅館〉経営企画室長の村田晃さんは、次のように意気込みます。
「茅野市は昨年、デジタル技術を活用して地域の健康・医療に関する課題を解決する『デジタル田園健康特区』に指定されました。そんな機運もあり、別荘でゆっくりお過ごしになるような方が安心できるよう、近隣の高齢者施設などとも連携し、いままでにない施設を目指しています」

蓼科の秘境といわれる横谷渓谷にある老舗旅館 〈横谷温泉旅館〉の村田晃さん。デジタル技術を活用したウェルネスリゾートのモデルとなりたいと話す。
計画の熟度を高めることが、成功への近道
茅野市は、観光庁の事業に採択される以前から地域が連携を図り、一体となる努力をしてきたことが、スムーズな計画策定や申請につながったといえます。
「できる限り早く情報収集し、丁寧に説明会を行い、やる気のある事業者をひとりでも取り残すことがないようにしました。そしてこの事業のテーマである“地域一体”を具現化できるような個別計画を、地域ごとに考えていただくことに努めました。
たとえば、山小屋を運営する事業者が、外壁の改修やカフェの増設を検討していたら、何のために改修をするのか、それによってどういうお客様を呼びたいのか、同じエリアの事業者で集まって、話し合います。こうして、自分たちのエリアの観光地としてのアイデンティティをしっかりと見つめ直し、先々の戦略を組み立てることができました。
また、今回は伴走支援によって、外からの視点を知る機会を与えていただいたことは地元の価値をあらためて認識するのに大変役立ちました」(熊谷さん)

「人生のいろんなシーンに寄り添える観光地になるためには、地域全体で経営していく姿勢が大切です」と熊谷さん。
〈株式会社池の平ホテル&リゾーツ〉代表取締役社長の矢島さんも、この事業で得たものは大きいと感じているようです。
「レイクリゾートに関しては、数年前から地域の会合で観光事業者、行政、地元住民が話し合いを続けてきました。その甲斐もあって、この1・2年で目指す方向性がかなり絞られてきた感覚があります。
令和3年度の事業では、白樺湖の自然と親しむ『湖畔の時間』というイベントを企画しました。集客目的ももちろんありましたが、レイクリゾートに具体的なコンテンツを落とし込んでいく実証実験を行ったことで、よりイメージを共有しやすくなったのだと思います」(矢島さん)

白樺湖はファミリー層に人気のエリア。(写真提供:池の平ホテル&リゾーツ)
地地域一体、と言葉で言うのは簡単ですが、個々の事業者の思惑や規模、経営状況が異なるなかで、コンセプトを共有し、同じ方向を目指すことは決して簡単ではないはずです。それぞれの観光地が単独で動いていた茅野市の場合、事業者だけで連携していくのも難しく、行政がリーダーシップを発揮しすぎてもなかなかうまくいかなかったのではと、矢島さんは言います。
「僕らのような民間事業者と、熊谷さんの行政としての観点はいい意味で違うので、“あるべき論”も理想も現実も、率直に意見を出し合うことで、折り合いをつけるのではなく、かけ算ができる。バランスのとれた協調と連帯が、コミュニケーションを重ねることで可能になったのでしょう」(矢島さん)
熊谷さんも、行政の役割についてこう話します。
「事業者が無理をしていないか、このサポートが本当にためになるのか、事業者に寄り添って判断することも、行政に求められます」(熊谷さん)

蓼科湖の畔から蓼科山や北横岳を望む。
昨年度の募集には手を挙げられなかったものの、1年かけて官民連携で計画を策定し、今年度採択された地域があります。「付け焼刃的に計画を練っても、太刀打ちできない制度設計だった」と矢島さんは振り返ります。
熊谷さんも、補助金は主役ではなく、あくまでもきっかけだと話します。
「それこそ時間がないからと近視眼的な対応で、コンサルに丸投げしてしまうようなところと、中長期を見通して自分たちの地域をどうしていきたいか語り合う機会を持てたところとでは、将来的に大きな差が出ると思います。それができた観光地こそ、生き生きと変わっていけるのではないでしょうか」(熊谷さん)
観光地の高付加価値化は一朝一夕では達成できないことが、茅野市の事例からあらためて見えてきます。
text:兵藤育子 photo:小川朋央
取材日:2023年1月20日